イラク日本人人質事件

 kouheiさんのブログ『読売新聞の社説はどうなの・・2 (2005年度版)』より、引用。

 今になって改めて読むと、2004年4月の読売社説の人質批判は何だったのか。イラク人民のことを思い活動する民間人を傷つけている。イラク戦争の原因となった大量破壊兵器は見つからず「深刻に反省すべき」なのは、偽りの情報を鵜呑みにして国民を危険にさらしている政府ではないだろうか。
 今回、高額の報酬を得る武装警備員の斉藤さんでさえ人質事件にあたり自己責任などと心ないことを口にすることは家族や身内の方の心情を思えば抵抗がある。
さらに昨年の人質事件では自作自演説などとする珍説を、政府やマスコミが大まじめに論じボランティアやジャーナリストをおとしめたこともあった。自作自演説を自作したものの責任も忘れないでいたい。
 百科事典『ウィキペディアWikipedia)』に解説がある。しかし削除依頼が出されているらしい、今のうちに自作自演説の部分を全文資料として引用しておく。ことの顛末を覚えておくことも容易なことではない。

  http://love.ap.teacup.com/applet/kouhei2/64/trackback
 昨年発生したイラク日本人人質事件における日本人の集団ヒステリーは、まさに軍国主義国家の集団ヒステリーそのものであった。
 あの事件においても、ウソによって真実が犠牲になった。
 そして後になって分かった事実も、歴史改ざん主義者によって葬り去られようとしている。
 今まさに、ウソと謀略によって真実が曲げられ、葬り去られようとしているのである。

 削除依頼が出されているという記述を転載しておく。
イラク日本人人質事件
  出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 より
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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イラク日本人人質事件イラク-にほんじん-ひとじちじけん)とは、2004年、サッダーム・フセイン政権崩壊後の混乱が残るイラクにおいて、相次いで発生した武装勢力・テロリストによる外国人の誘拐・拘束事件の内、日本人が対象になった事件を言う。

2004年4月7日、イラクのある武装組織に日本人3人が誘拐され、人質にされる。武装組織は解放条件として、「サマーワに駐留する自衛隊の撤退」を要求を突きつけていたが、15日には無事解放される。また14日に、新たに2人のジャーナリストらも拘束されていることが発覚。しかし、17日には解放。さらに、同年10月27日には、ザルカウィが率いるとされる武装組織に、1人の日本人男性が人質になっていることが明らかになる。4月の事件と同じく、この武装組織も自衛隊の撤退を要求していたが、10月31日(現地時間10月30日夜)、人質男性は首を斬り落とされた遺体で発見される。

目次 [表示非表示]
1 4月の事件
 1.1 事件の経過
 1.2 実行グループ
 1.3 日本側の動き
 1.4 世論の反応
  1.4.1 人質家族に対する様々な反応
  1.4.2 メディアの反応
  1.4.3 議論を呼んだ個人の意見
  1.4.4 事件を巡る世論調査
  1.4.5 自作自演説
2 10月の事件
 2.1 事件の経過
 2.2 実行グループ
 2.3 日本側の動き
3 関連文献
4 関連項目
5 外部リンク

4月の事件

事件の経過
(日付は日本時間による)

4月7日 - ボランティア活動家、報道写真家、NPO団体代表の3人の日本人が、ヨルダンのアンマンから陸路イラク入りしてバグダードに向かう途中、武装グループに誘拐された。
4月8日 - カタールの衛星テレビ局、アルジャジーラが、「サラーヤー・アル=ムジャヒーディーン」(ジハード戦士旅団)を名乗る武装グループが日本人3人を拘束している様子を収めた映像を流した。犯人から送られた映像に同封された手紙には「放送されてから3日以内に自衛隊イラクから撤退させなければ3人を生きたまま焼き殺す」と書かれていた。これを受けて日本政府では、同日夜に福田康夫官房長官が緊急会見し、「(自衛隊が)撤退する理由はない」と述べた。
4月10日 - 小泉純一郎首相は、自衛隊を撤退する意思がないことを明らかにするとともに、人質の救出に日本政府として全力をあげるよう指示を出した。また、人質となった日本人3人の家族が東京でアルジャジーラの取材に応えて人質解放を訴え、その映像が中東全域に放送された。
4月11日 - 武装グループからアルジャジーラにあてて、「イラクムスリムウラマー協会の求めに応えて3人の日本人を24時間以内に解放する」との内容のファックスによる声明が届き、日本では一時楽観ムードが漂ったが、期限内の解放は実現されなかった。
4月13日 - イタリア国籍の4人が別の武装グループに拘束され、自衛隊に続いてイタリア軍に対してイラクから撤退が要求された。この間、外国人の人質事件が相次ぎ、占領行政を行う連合国暫定行政当局(CPA)の発表では12か国、40人前後が人質に捕われたとされる。
4月14日 - 新たに、日本人2人(ジャーナリストとNGO団体職員)がバグダード西方で何らかの武装勢力により連れ去られた。一方、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相は日本の小泉首相と同様に撤兵を断固として拒否する声明を出していたが、イタリア人人質の1人の殺害が公表された。
4月15日 - 7日からサラーヤー・アル=ムジャーヒディーンにより拘束されていた日本人3人が、午後になってバグダード市内で解放され、ムスリムウラマー協会により保護された。
4月17日 - 14日から拘束されていた日本人2人は、バグダード市内のモスクで解放され、保護された。

実行グループ
事件は、イラク西部のファルージャで起きたアメリカ民間人の殺害事件をきっかけにイラク西部の地元住民の抵抗運動と、これを鎮圧しようとするアメリカ軍との間で戦闘が激化し、イラク戦後で最も情勢が不穏となっていた2004年春に起こった。最初に人質となった3人は陸路でバグダードに向かう途中、ファルージャの近郊で拘束されたもので、犯行を行った武装グループ「サラーヤー・アル=ムジャーヒディーン」もそれまで知られていない組織であったことから、紛争の影響で地元の住民が作り出したグループであろうという見方が強い。バグダード西方で2人を拘束したグループも、同じような組織であったと見られる。

そのため、報道やイラクの支援運動を目的としてイラクに入ったことが中東の放送に出演した家族の口から伝えられ、バグダードファルージャの方面では主流派であるスンナ派に影響力をもつイラクムスリムウラマー協会が解放に向けて働きかけを行ったことで、解放が実現したようである。人質自身の証言によると、自分たちがイラクのためにやってきたと訴えると待遇が和らいだという。


日本側の動き
被害者と事件以前から近い関係にあった北海道の支援者たちは、事件を受けて「自衛隊の即時撤退」を求めた。デモを起こした団体もあり、被害者に同情的な議論と批判的な議論が噴出して世論は沸騰した。

政府は、対策本部をヨルダンのアンマンに設置するとともに、関係各所に支援を要請し、武装グループに対し、解放の働きかけを行った。しかし、自衛隊の撤退についてははっきりと否定し、自衛隊が人道復興支援のためにイラクに駐留していることを再び強調し、理解を求めるに留まった。

家族を含む3人の支援者たちは事件発生後東京に赴き、北海道の高橋はるみ知事が提供した北海道東京事務所に待機して事態の推移を見守った。被害者家族は小泉首相に面会を懇願したが、「テロリスト達に日本政府が要求を呑む可能性がある」と間違ったメッセージを与えてはいけない、とする日本政府の判断によって断られた。拘束が長引く中で、支援者は日本政府の対応に不満を表明したが、家族の一人は外務省職員に謝罪と感謝を表した。

アルジャジーラによる3人が無事解放されたという一報が各テレビ局から流された時は、支援者たちが、喜びにあふれ、歓声が上がった。彼らから、現地で支援してくれたイラク国民と、テロリストたちと交渉にあたったイラクムスリムウラマー協会、日本で支援してくれた人たち、陣頭指揮をとって解決にあたった日本政府に対して、感謝の気持ちが伝えられた。

最初の3人に続き、次の2人も無事解放されると、安堵と喜びの論調が増したが、被害者やその支援者に批判的な議論も継続した(詳細は後述)。


世論の反応

人質家族に対する様々な反応
3人の救出を求めて被害者家族が「自衛隊撤退」を政府に要請したことに対し、多くの国民から「テロに屈してはいけない」、「テロの要求をのんでしまえば、イラクや世界中に滞在する日本人がターゲットにされる」など批判の声が上がった。また、家族や支援者が一方的に政府を批判することに対しても反発があり、北海道東京事務所に何台もタクシーを呼びつけたり、被害者宅へ悪戯電話や中傷内容の手紙を送りつけるなど過剰な反応が見られた。

解放後にも、帰国する被害者が搭乗した飛行機の着陸した羽田空港では、「自己責任」、「税金泥棒」、「ぬるぽ」とのプラカードで被害者を批判・非難する人(2ちゃんねらーと思われる)が現われた。これに先立って解放直後の4月16日にはある新聞社のウェブサイトに3人の住所が掲載され、さらにそれがインターネットの電子掲示板に転載され、新聞社のウェブサイトから削除された後も多くの人の目に触れたことがあった。掲載された3人の住所は「プライバシーの重大な侵害」と判断した札幌法務局が掲示板の管理者に削除を依頼したことで、21日までに削除されたが、おそらくこれがきっかけとなってその後、3人の自宅には中傷の手紙がさらに大量に送り付けられた。

解放の数日後、被害者家族は一部の過剰な反発に配慮した格好で、マスコミに「謝罪」を前面に出した対応をとった。

一方で、被害者家族に折鶴を送られる暖かい光景なども見られた。民主党衆議院議員西村眞悟は、党の見解と異なり、イラク派兵を支持し、また事件後人質を強く非難したが(後述)、彼の元へ事件中の土日で自衛隊イラク撤退を要求する「千数百通のメールが殺到」(眞悟の時事通信 (http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?mode=listview)「事態の推移がみせる全体像(平成16年4月14日)」)したとしている。しかし、これらの動きは、人質やその家族への批判・非難に比べ、あまり報道されることはなかった。このため、人質やその家族などへの批判・非難を過大に報道することで、マスコミは非難を手助けし、あるいはイラク派兵反対派への見せしめとしようとしたのではないかとの見方もある。


メディアの反応
人質事件は、イラクに対し外務省から再三の退避勧告がなされている状況下において起ったことから「自己責任」をキーワードとする多くの意見が、政治家やマスコミ、評論家からも発せられ、メディアを賑わせた。

政府が救出に向けて費やした経費は算定基準を明らかにされていないものの数十億円に上ると喧伝され、北海道庁が家族に東京事務所を提供したことと併せて議論を呼んだが、事件解決後には、外務省が帰国の飛行機を運行するための費用を被害者側に対して請求した。これに対して、一般的な請求額では「戒めにならない」とする声もあった。

こうした中、内外のメディア関係者からは、自己責任論を強調する日本の風潮に対して、批判と懐疑の声が上がった。例えば、「イラクに渡った若者たちは勇敢な人間である。彼らを責めるのは少々筋違いではないか」、「政府が自国民を助けるのは責務である。彼らを救済するためにかかったお金を請求するなど馬鹿げている」というものである。


議論を呼んだ個人の意見
自己責任論に関し、事件発生直後から福田康夫官房長官や川口順子外務大臣ら政府の関係者から、人質となった5人が外務省の退避勧告を無視してイラク入りしたことに対し、批判的な見解が述べられた。また、当局者はいずれも要求に屈し自衛隊を撤退させることは考えられないと述べたが、このような政府関係者の言動は、自衛隊を撤退させて人質の解放を実現しようと訴える人々に批判された。

その他、「あんな劣化したのは、テロリストに殺されても「自業自得」でしかなくて、国家は一切関わりを持たなくてもいいという意見は、国民の底流の中にはかなりあったでしょう」(『諸君!』6月号での石原慎太郎との対談)と述べた西村眞悟衆議院議員をはじめ、自己責任論にのっとって人質をはっきりと非難する論調が政治家・評論家などの間で見られた。山形浩生は「あの人質5人は、少なくともこれまでは何もしてないし、これからも何ら役にたつことはしないだろう、というのが多くの人の目には明らかだった」(『サイゾー』8月号)とまで書いている。

あるNGO団体の職員は、このような被害者への非難に対して、NGOや、民間・フリーのジャーナリストが危険を冒してでも現地に赴くことは、戦争被害者の側に立った活動や報道をし、イラクの現状を知ってもらう上で絶対に必要であると反論した。一方で、ある国民がいくら無謀な判断で危ない状況下におかれてたとしても、日本政府は絶対に助けなければならないとし、救出に成功しなければ、自分達には責任がなく日本政府に全ての責任があるのは当然だ、とも主張したが、これもまた物議をかもした。

また国外では、アメリカ合衆国パウエル国務長官は日本メディアのインタビューに対し、3人の人質の行動を「イラクで活動しようとした勇敢な行為」と賞賛はしつつも、「日本はイラクから自衛隊を撤退させてはならない」と述べ、日本政府の対応を支持した。


事件を巡る世論調査
4月の人質事件をうけて朝日新聞が行った世論調査によれば、自衛隊派遣継続に関しては支持50%、不支持32%であった。また、政府による撤退拒否の姿勢を73%の国民が支持する結果ともなった。

人道支援をしている自衛隊を撤退させる必要はない。 彼ら3人は危険を承知で自分たちの判断で行った。国策を転換させてまで、助ける必要は皆無。
派遣には反対しているが、テロリストたちの要求は飲むべきではない。
そもそも自衛隊イラクに派遣したことは憲法違反。即時撤退するべきだ。
などの意見が寄せられていた。

共同通信は人質事件発覚直後の4月9・10日と、解放直後の16・17日の二度、世論調査を実施した。発覚直後の調査では、自衛隊撤退に応じない方針に関して支持43.5%、支持しない45.2%と拮抗し、不支持がわずかに上回った。しかし、解放直後の調査では、自衛隊撤退を政府が拒否したことについて、「妥当だった」61.3%、「妥当ではなかった」8.8%と、支持が急上昇した。

また共同通信毎日新聞日経新聞内閣支持率調査は各社、前回調査時より軒並み上昇した。


自作自演説
人質の拘束中から解放後しばらくの間、インターネットを中心に自作自演説が流れた。発端は、事件直後にインターネットの匿名掲示2ちゃんねるなどで「あの拘束誘拐事件は自衛隊イラク駐留に反対する人質たちが自衛隊を撤退させるために仕組んだ『自作自演』である」と書き込まれたことにあると言われている。

「自作自演」だとされた主な理由は下記のようなものである。

人質を拘束したテロリスト達が日本語のような言葉を喋ったから、被害者とテロリストは繋がっているに違いない。
人質となった3人の日本人が拘束されてすぐに、「自衛隊撤退のデモ」が行われたのは不自然である。 何故なら、デモを行うには二、三週間も前に市役所等に許可を申請をしなければならない。 事前に人質事件は予定されていたに違いない。
人質となった今井紀明氏の名前で、高遠菜穂子さんのサイトの掲示板に、『ヒミツの大計画!』という書き込みが行われていたようだ。これは自作自演の誘拐計画を暗示するものだ。
[208] ヒミツの大計画!(笑) 投稿者:今井です 投稿日:2004/04/07(Wed) 09:57 今日は週刊朝日の記者さんと知り合いになりましたよ! アンマンで取材されているフリーライターなんだって。とりあえず仲良くなったところで、郡山さん(記者さんね!)が、 あるとっておきの計画を持ち出したよ! これってサイコーかも?(笑) 歴史に名前を残す大偉業のような気がする! 一緒に聞いていた高遠さんも乗り気みたいだし、 これはやってみる価値アリだとおもうね。そのうち日本でもニュースになると思うから、チェックしてね!

こうしたネット上の「人質による自作自演」説には、2ちゃんねるなどの匿名掲示板で自然発生的に生まれたものだけではなく、次のようなマスコミ各社の「自作自演」を匂わせる報道とに呼応するものもあった。

脅迫映像の中で3人以外が発した言葉の中に日本語と思われるものが混じっている、犯人グループに日本人が関与しているのではないか。
(「3邦人人質ビデオ未放映映像を解析 内藤正典・一橋大大学院教授 日本語話す人物存在 『言って、言って』発言促す」、『産経新聞』4月21日。)

事件当時の首相官邸では、警察庁小野次郎首相秘書官と飯島勲秘書官の間で、自作自演の可能性が話し合われていた。事件勃発直後から支援団体が運動を開始し、その手回しのよさも疑念に拍車をかけた。高遠さんが犯人グループと同名の武装ゲリラと接触していたという情報も入っていた。
(「『人質報道』に隠された『本当の話』 『官邸』にまで達していた『自作自演』情報」、『週刊新潮』、2004年4月22日。)

一方、いくつかの週刊誌などでは、「『自作自演』を仄めかす報道や『自己責任』を強調する論調は、官邸周辺からの情報操作によるものだ」という記事も掲載された。

外務省と公安から、自民党の1年生議員を通じて「自作自演説」がマスコミに流布されている。
木村元彦イラク人質事件に対する政府、メディアの卑劣な対応を許すな!」、『ミュージック・マガジン』、2004年6月。)

小泉首相側近や警察の公安担当部門が、記者に「自作自演の可能性を調べてみろ」と圧力をかけた形跡がある。軍事評論家・神浦元影氏は「事件が起きた状況を分析する限り、自作自演はありえないと思う」と述べている。
(「冷血」首相と「無能」外務省は他人事だった 〜小泉&官邸「許されざる家族への暴言」、『FRIDAY』、2004年4月30日。) 

政府は警察や公安調査庁内閣情報調査室を通じて人質の思想を調査し、「人質の家族は共産党関係者」との情報をマスコミに流し、「自作自演」を疑う報道を展開させた。
(「怒りの暴露 いまだから書ける 聞くに耐えなかった解放された人質家族への誹謗中傷」、『週刊現代』、2004年5月1日。)


結局、事件が解決して次第に世論が沈静化して、さらに2004年4月末より年金未納問題へ注目が移っていくと、明確な根拠を示しえない「自作自演」説は自然に姿を消していった。

ヒミツの大計画!』に関しては、2ちゃんねる利用者有志によって、各種掲示板過去ログの追跡調査が行われた。その結果、以下のような不自然な点が見つかったために、今日ではこれが捏造文書であることはほぼ確定している。

誘拐事件が報道された直後、高遠さんのHP掲示板のURLが2ちゃんねる上に紹介された(2004年4月8日21時10分)。多くの人々がこれを閲覧し、その内容について発言したが、誰も『ヒミツの大計画!』に言及する発言を残していなかった。
高遠さんのHP掲示板ログには、『ヒミツの大計画!』なる書き込みは存在しなかった。
高遠さんのHP掲示板ログには、2ちゃんねらーネット右翼によると思われる大量の荒らし書き込みが残っていたが、『ヒミツの大計画!』に言及したものはなかった。
大量の荒らし書き込みを理由に、高遠さんのHP掲示板は閉鎖された(同、21時51分頃)。その直後、2ちゃんねる上に初めて『ヒミツの大計画!』という書き込みが登場した(同、22時9分)。
高遠さんのHP掲示板ログにあった今井紀明氏の書き込みと、『ヒミツの大計画!』とでは、文体が著しく異なる。
ヒミツの大計画!』に酷似した文体の荒らし書き込みが、高遠さんのHP掲示板のログに残されていた。
 この追跡調査では、2ちゃんねるに書き込まれた十数行の捏造文書『ヒミツの大計画!』が、伝播するうちに次々と追加情報を付加され、長文化していったことも明らかになった。自衛隊イラク派遣に賛成する地方議員や評論家らの中には、自らのサイトで『ヒミツの大計画!』を紹介し、「自作自演」疑惑を示唆する者もいた。しかし、いずれも文書の出所については明記しておらず、「極めて信頼出来る筋」「ある女性の方から」等々、あいまいな表現を用いていた。 さらにこの調査では、2ちゃんねる上で最初に「自作自演」の文字が登場した時刻(2004年4月8日20時43分)も特定された。誘拐事件の報道から数十分後、未だ事件の詳細が一切明らかになっていない段階から、すでに「自作自演」説は存在していたことになる。

10月の事件

事件の経過
(日付はイラク時間による)

10月20日 - 被害者となる福岡県直方市在住の男性が、旅行者としてヨルダンのアンマンから長距離バスによりバグダードに入った。
10月23日 - 男性がバグダードで最後に目撃された。この後、なんらかのイラク武装組織に拉致された上、ヨルダン出身のアブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィーのグループ「イラクの聖戦アルカーイダ組織」に引き渡されたとみられる。
10月26日 - 「イラクの聖戦アルカーイダ組織」が自衛隊で働いている日本人男性1人を拘束したとする映像がウェブサイト上で発信された。同グループは48時間以内の自衛隊撤退を要求し、実現しなければ彼を殺害すると予告した。その後の日本政府の調査により、自衛隊関係でイラクに滞在している全員の無事が確認され、映像で拘束されているのは旅行者としてイラク入りした男性と判明した。
10月29日 - イラク北部のティクリートで頭部を撃たれたアジア人男性の遺体が発見され、アメリカ軍の報告から一時、人質となった男性のものと判断された。しかし、のちの調査で別人で、おそらくイラク人であったことが判明した。続いて、バラドでもアジア系とみられる遺体が発見されたが、これも身体的特徴から人質の男性ではないと確認された。
10月30日 - 夜、頭部を切断された日本人男性の遺体がバグダード市の中心部近くで発見された。遺体の胴体の側には頭部が置かれ、布で覆ってあった。指紋照合の結果、人質となっていた男性本人と確認された。
11月2日 - 「イラクの聖戦アルカーイダ組織」が日本人人質の殺害を認める犯行声明と、人質男性をナイフで首を切って殺害する様子を撮影した映像をウェブサイトで発信した。同グループはこの犯行声明において、自衛隊を撤退させなければ日本人は引き続き攻撃対象になる、として自衛隊イラクからの撤退を再度要求した。また、声明中で「日本政府が多額の身代金を出すと申し出た」としたが、日本政府側はこれを否定した。

実行グループ
10月に日本人人質を殺害したとみられるザルカーウィーのグループは、2004年の5月以降、イラクでたびたび起こった外国人の拘束・殺害事件を実行したとされる。その手口は、いずれも映像を使って犯行声明を出し、実現が不可能に近い厳しい条件を突きつけた上、残虐な方法で殺害するというものである。

また、ザルカーウィーのグループはもともとヨルダンの王制打倒を目的とし、アルカーイダ系の国際テロ組織と連携してアフガニスタンのキャンプで養成されたテロリスト集団であると言われる。2004年以降はイラクに潜伏してはいるが、これはサッダーム・フセイン政権崩壊後、混乱の続くイラクが潜伏と反米活動を行うのに格好の場所となっているためである。

彼らはイラク人ではなく、伝統的なスンナ派宗教指導者の権威もそれほど認めていないので、イラクの地元部族や地縁関係、宗教指導者の働きかけを通じた解放交渉には全く応じない。このため、10月の人質事件は、無事解放された4月の事件と比べて非常に厳しい見通しが立てられたが、事実、交渉がほとんど行えないまま最悪の結果に終わった。

この事件では、人質の男性は星条旗の上に座らされて首を切られた。また、遺体発見時に遺体の頭部を包んでいた布は星条旗であったと報ぜられた。これは、ザルカーウィーのグループが日本をアメリカと同一視することでアラブ社会の日本に対する敵意をあおることを目的としていたためであるとみられる。


日本側の動き
日本で人質事件発生の発覚した10月27日、小泉純一郎首相は要求をのんで自衛隊を撤退することはないと言明した。外務省では町村信孝外務大臣が人質の無事解放を訴え、谷川秀善外務副大臣をヨルダンに派遣し、アンマンに現地対策本部を設立して事態の打開をはかった。

続いて、人質となった男性は「自分探しの旅に出たい」と言い残して1月からワーキングホリデー制度を利用した海外旅行に出ており、イラク入りしたことは家族も知らなかったことが明らかになった。アンマンで男性と会った日本人は男性がイラクの現状を自分の目で見てみたいと言っていたと証言したが、これに対し、外相をはじめ政府の関係者や現地事情に詳しい専門家、ジャーナリストの間からは、なぜ危険なイラクに旅行者として足を踏み入れたのか理解に苦しむというコメントが相次いだ。

発覚翌日の28日にはアンマンに谷川副大臣が到着し、現地対策本部が設立されたが、4月の事件と違って交渉の難しい相手に対し交渉ルート作りに難航した。また同日、男性の両親が相次いで中東のメディアに出演し、息子がイラク駐留に参加するためにイラクに行ったのではなく、イラクの人々に同情したからイラクに入ったのだと話して解放を訴えたが、最初の脅迫で予告されていた第二の映像を含め、武装グループの側からの反応は一切なかった。

29日には殺害予告の48時間を経過し緊張感が高まった。新聞報道によれば、この時点で日本政府は最初に人質男性を拉致したイラク人グループと接触している第三国の情報機関に交渉を要請し、まず人質をザルカーウィーのグループからイラク人グループに取り戻すための努力を行ったが、ザルカーウィーのグループが殺害を急いだために失敗に終わった。

現地時間の29日夜には続いてイラク北部で発見された遺体に対し、人質男性と身体的特徴が一致するとの知らせが入り、一時は死亡確認との情報が流れたが、12時間後に別人と確認された。これにより日本政府の対応も混乱したが、救出に向けて体勢を立て直した直後、翌日夜にバグダードで遺体が発見され、男性本人であることが確かめられた。

遺体発見後、日本政府は12月に期限を迎える自衛隊の駐留延期するかどうかの決定について、今回の事件とは切り離してイラク情勢から検討することを表明した。

事件後、共同通信が行った世論調査では、過半数の58%が今回の事件に対する日本政府の対応が適切であったと評価したが、自衛隊イラク派遣延期については63%の人が反対と答えた。

週刊ポスト』11月12日号によると、外務省筋の話として、「実は政府はその間、連絡方法を検討していただけでなく、(被害男性、原文実名)の素性を探っていた。というのも、イラクには現在、ほぼ同じ年格好の青年がひとり滞在しており、この青年は共産党と関係が深いことがわかっている。政府部内では人質が(被害男性)か、その青年かを特定できず、青年だった場合は共産党が主張する自衛隊撤退を政府に迫るための自作自演の可能性があるとみていた」としている。人命救助より思想調査を優先させていたことになるが、真偽は不明である。


関連文献
今井紀明『ぼくがイラクへ行った理由(わけ)』コモンズ、2004年7月。 - ISBN 490664080X
今井紀明『自己責任 いま明かす「イラク拘束」と「ニッポン」』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125463
郡山総一郎吉岡逸夫『人質 イラク人質事件の嘘と実』ポプラ社、2004年9月。 - ISBN 4-591-08274-1
佐藤真紀伊藤和子編『イラク「人質」事件と自己責任論 私たちはこう動いた・こう考える』大月書店、2004年7月。 - ISBN 4272210807
コメント・メッセージおよび執筆者: 今井紀明伊藤和子(弁護士)、鎌中ひとみ(映画監督)、高遠菜穂子田中宇ら36名
高遠菜穂子『愛してるって、どう言うの? ―生きる意味を探す旅の途中で―』文芸社、2002年6月。 - ISBN 4835540743
高遠菜穂子戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない』講談社、2004年8月。 - ISBN 4062125412
『法学セミナー』日本評論社、2004年9月号「イラク人質事件・日本人対"世間"の法感覚 ――グローバルとローカルのはざまで」 - ISSN 04393295
インタビューおよび執筆者:岡田順太、天木直人加藤健二郎佐藤直樹、矢野直明
これらの著者のうち、今井紀明NPO団体代表)、郡山総一郎(報道写真家)、高遠菜穂子(ボランティア活動家)の3人は上記で示した4月に武装グループに拘束された人物たちである。


関連項目
イラク戦争
自衛隊イラク派遣
アルカーイダ
アブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィー
テロリズム
対日テロ
アルジャジーラ
イラクムスリムウラマー協会
連合国暫定行政当局(CPA)
バグダット
ファルージャ
アンマン
安田純平

外部リンク
朝日新聞』 特集コーナー (http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin.html)
北海道新聞』 関連記事リスト (http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3??d=&j=0073)
平成マスコミ塾 “自己責任論”の後始末 (http://www.trimup.com/media/column/baji/baji034.html)
右翼思想からみた、自己責任バッシングの国辱ぶり (http://www.miyadai.com/index.php?itemid=98)
イラク邦人人質事件ニュース 「責任転嫁」かっこわるい。 (http://dayomon.fc2web.com/matome/iraq.html)
2ちゃんねる香田さんスレッドの主要意見ピックアップBlog (http://home.newsch.net/kouda/)
マスメディアの「テロリズム」(1) (http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/dojidai/iraq_01.html)(紛らわしい表題だが、被害者を批判する立場である)
人の生命をおもちゃにして遊ぶ人の顔をした■■■■ (http://d.hatena.ne.jp/kitano/20040407)
Interview on Tokyo Broadcasting System International with Shigenori Kanehira(TBSによるパウエル米国務長官インタビュー、米国国務省より。英語) (http://www.state.gov/secretary/rm/31489.htm)
(追記)
 このバッシング事件をテーマにした映画が作成され、第58回カンヌ国際映画祭で好評だったという。
「バッシング」
  小林政広監督 出演:占部房子、大塚寧々
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 上のブログの2005/05/14 へたれ文化人よ を参照して下さい。
 
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(旧サイトのエントリーに頂いたコメント)
kouhei (2005/05/19 23:19:40)
 tbと紹介ありがとうございます。

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独裁が 選挙の後に 待っていた
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