ケンポーのシーエム!

(メルマガ 【平和と民主主義を考えるための覚え書き】Vol.044 (30+59)部 )
 
 加藤周一さんと若者男女が数人、座っている。
 加藤周一さんが話し始める。
日本国憲法の精神はとても崇高なもので、世界の平和と民主主義のために……」
「えーっ、わかんなーい」
「つまらねー」
「キレイごとすぎるー!」
「じゃ、キューちゃんになってもう一度やってみましょう。」
(キューちゃんのかぶりものをかぶって)
日本国憲法の精神はとても崇高なもので、世界の平和と民主主義のために……」
「やっぱりつまんなーい!」(と、投げ捨てる)
 
 天野祐吉さんが朝日新聞8月21日のコラムで曰く
 
 このCMを見ると、どうして「憲法とは何か」がわかるか。それを説明するのはヤボのきわみだが、一つだけ言うと「まじめくさったCMはCMとしては不まじめだ」という考え方だろう。
 だから、
日本国憲法の精神はとても崇高なもので、世界の平和と民主主義のために……」
じゃ
「わかんなーい」
「つまんなーい!」
のである。
 キューちゃんのかぶりものをかぶって目先だけ変えてみても
「やっぱりつまんなーい!」
のだ。
 CMという物売り芸が芸であるためには、ときに商品を茶化したり、自分自身を笑いものにする知恵や工夫が必要なのである。
  
s(・・;) このCMの意義は、加藤周一さんを登場させたことかと……。
 それはともかく、上の内容、決してマガジン9条や
 Keep9 9条守ろう!ブロガーズ・リンク http://our.sakura.ne.jp/9/
 などの既存の護憲運動を茶化す意図で書いたものではありません。
 もちろん、天野祐吉さんの言っていることも分かります。その言うところも十分考え、取り入れていく必要があります。
 しかしそもそも、商業主義的に商品をPRするCMと、政治的問題・運動の対象である憲法を同一に考えるのも無理があるかと思います。
 政治は、常に抑圧や自由といった問題をはらんでいます。
 政治に向き合う場合、ある程度真面目に・真剣に考える必要があるのではないでしょうか。
 
 現在の護憲運動を批判するのは簡単なことです。
 しかし、先人の戦いの元に得られた民主体制を維持していくためには、ある程度真面目に・真剣に考えることも必要です。
 平和や民主政治や自由について真面目に・真剣に考えることなく、民主制や自由や平和や人権などをいとも簡単に放棄して「愛国心」などと言って、本当に大切なことを考えようとしない人々(いわば、“自由からの逃走”)が増えてしまったことが問題ではないでしょうか。
 
 政治について真面目に・真剣に考えているのは、皮肉にも「諸君!」「正論」「サピオ」などを読んでそっちの方向に走る者が大部分。
(■[メモ]理性的で良識的な哲学を広めるために
  http://d.hatena.ne.jp/minshushugisha/20060526
を参照のこと。)
 
 自分の自由や権利に関する大変重要なことなのに、「難しい」「分かんない」と、話し手に文句を言ってすむことだろうか。自分の自由や権利くらい、自分で学び・考え・行動して守ることが必要ではないのか。
 その意味で、難しいことは考えずにワイドショーを見て洗脳される「B層」が増えることは、政権の私物化を考える政治家にとってありがたいことなのであろう。
 平和や民主主義を真面目に・真剣に考える人が少数派になってしまったことが問題。日本人の幼児化である。
 ああ、日本人はなぜかくも幼稚になったのか。 
 

なぜ日本人はかくも幼稚になったのか (ハルキ文庫)

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