『桃色ゲリラ』連載書評(1)

minshushugisha2006-04-22

 書評なんて立派なもんじゃありません。“読書感想文”です。タイトルにするには“書評”とした方が座りがいいので。
 

桃色ゲリラ―PEACE&ARTの革命

桃色ゲリラ―PEACE&ARTの革命

 
 
 この本のこと、確か ▼CLick for Anti War 最新メモ
  http://d.hatena.ne.jp/claw/20060324
で知ったのだと思う。アマゾンの説明にはこうある。

内容(「BOOK」データベースより)
 反戦アート集団・桃色ゲリラ、その衝撃的登場の軌跡!戦争とエロスそしてアートとは。
内容(「MARC」データベースより)
 戦争とエロス、そしてアートとは…? 2003年3月、イラクへの先制攻撃を始めようとしていたブッシュに対する抗議デモから誕生した反戦アート集団・桃色ゲリラ。その衝撃的登場の軌跡を描く。

反戦アート集団」で、しかも「桃色」。何だかよく分からない。
 何度かマスコミに取り上げられたことがあるようだが、私は全然知らなかった。
 
 そういえばインリン・オブ・ジョイトイも「エロテロリスト」と言われている。インリンがプロレスをやったのは知ってるが、インリンとキャラがかぶっているのだろうか。
 
桃色ゲリラのHP ももいろ通信
  http://www.gameni.org/momoirogerira/
代表者・増山麗奈のブログ  増山麗奈の革命鍋!
   http://renaart.exblog.jp/
増山麗奈公式Webサイト
   http://www.renaart.com/
   
●第1章 増山麗奈の生と性
 まだ30にもなっていないというのに、もう著書で今までの人生を振り返っています。
「生と性」とサブタイトルをつけることができるというのが何とも。
 私なら「性」と全く縁がなかったんで。私なら何とつけようか。
「minshushugishaの躁と鬱」とでもなろうか。
 しかし文章はなかなか面白い。突き放したような、毒舌のような皮肉のような文体でサラリと書いている。少し前、若い女性が芥川賞をとったと話題になったが、これに通じるものがあるんではないか。
 子どもの頃遊んだ「まっすぐの道」の描写も、文学的なものを感じさせる。
 友達関係や父親との関係も、深く掘り下げれば文学作品になりそうな面白いテーマである。
 関君という男が出てくる。増山麗奈が疲れると癒やしてもらいに行く人。
「暖かすぎて、安心しすぎて、私はより危険な男に魅力を感じて別れてしまう」
と書いている。よく言われる「いい人」ということか。
 映画やドラマなどではこういったタイプは、よく貧乏くじを引かされているようにも思えるのだが、実際の人生では意外と平凡で幸福な家庭を築いていそうな感じがする。芸大に合格するのだから、普通の人よりは才能はあるはずである。この方はその後どんな人生を送っているのだろうか。
 
●プロローグ
 順番は前後するが、この章が本書の一番最初にある。
 冒頭、2001年9月11日のNYテロをTVで見る場面から始まっています。この事件が増山麗奈に大きな影響を与えたということです。当時、増山麗奈はお腹のなかに赤ちゃんがいました。その赤ちゃんの父親は、結婚相手のちんどん屋の吉野さんらしい。このブログで以前、ちんどんよしのさんを紹介したことがあります
  http://d.hatena.ne.jp/minshushugisha/20051227
が、まさかその方でしょうか。意外と世界はつながっているもんですね。
 桃色ゲリラの発足は、2003年3月に、ブッシュのイラク攻撃を止めようとしたことから。

 初めて参加した反戦デモは、地味だった。ほとんどは灰色の服を着たおじさん、おばさんだけ。若いのは、まじめそうな運動系かおタク系だけ。しかもプラカードも、ファッションもダサすぎ!これじゃあ盛り上がるもんも盛り上がんない!
「とりあえずかわいい子を集めよう、しかもコスプレして!」

……というのが誕生のいきさつ。
 しかし、ここで馬鹿にされている人々もすごい言われようである。
 元来、こういった地道に活動している人々がいたからこそ、今まで曲がりなりにも憲法や民主主義が守られてきたといういきさつがあります。
 それを「地味」「盛り上がらない」と一刀の下切り捨てられるとは、あんまりな気がします。
 
 実際、桃色ゲリラは古くからの運動体の人々から様々な批判を受けたそうである。

 街を行進するデモ隊と、街行く人々との間には壁がある。運動をする側は、それを「奴らはまじめに問題をとらえていない」と批判する。街の側から見たときに「奴らはあまりに地味で閉鎖的に」見えるのだ。
 別に、無理に楽しそうにする必要もない。だがデモをするということは、国家権力に対するアピールであるばかりか、街行く人々へのアピールでもあるのだ。

 増山麗奈はクリエイターであり、パフォーマーでもある。その観点からデモというものをとらえている。
 これからはデモを企画する人々は、このような増山麗奈のような考え方も考慮する必要があるのではないか。旧来の古い方法一辺倒ではダメで、新しい発想も必要である。
 しかし、デモを企画する人々が足の引っ張り合いだとか批判の応酬をやっているのもダメなことで。お互いが悪口を言い合わずにお互いのやり方を尊重して多用な方法が選択できるのが理想。
(続く)
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第二条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。