愛国心・愛社心・愛校心

 少し前の記事になるが、朝日新聞4月3日に「国家の品格とは何か」という記事が掲載されていた。藤原正彦の「国家の品格」に関連して、国家の品格とは何ぞやということを、藤原正彦内田樹が書いていた。
 その記事の中で藤原正彦が「ナショナリズム国益主義)」と「パトリオティズム(祖国愛)」について記述している。

愛国心」という言葉には、二つの異質なものが含まれている。その一つが「ナショナリズム国益主義)」。これは、自分の国さえよければ他国はどうでもいいという、戦争につながりやすい危険な考え方であり、私は「不潔な思想」と呼んでいる。
 もう一つが「祖国愛」(パトリオティズム)だ。自分の生まれた国の自然や文化、伝統、情緒といったものをこよなく愛する考え方。祖国を愛する気持ちが深ければ深いほど、相手の同様の祖国愛もよくわかる。こうした祖国愛を大切にしながら、「惻隠」という美しい情緒を、論理や合理に凝り固まった世界に広めることが日本の果たすべき役割なのだ

 図式化すると、こうなります。

    パトリオティズム = 健全 = 善
愛国心 
    ナショナリズム = 偏狭 = 悪
  (Literally Memodesuko Mudaidesuvic より 線は省略)
 
 これはその通りだ、どんな話題でも最後には特定アジアの批判に至るように思考回路がマインドコントロールされてしまった“ああ言えば特定アジア批判、こう言っても特定アジア批判”の特定日本人やネットウヨと言われる連中の行動はここに指摘されている悪い意味でのナショナリズムという概念に該当する。
 またそれは、私が以前“保守派”ではなくて“破壊派”である、と批判した問題意識とも関連している。
 ■[覚え書き][メディア・リテラシー]保守系と破壊系
   http://d.hatena.ne.jp/minshushugisha/20060131
これはいつかブログに書かねばならん、と思って記事を切り抜いて保存しておきました。
  
 ところが、ナショナリズムパトリオティズムの言葉の定義について、英米圏でも色々な人が色々な意味で使っており、藤原説のように簡単には分類できないものだという指摘がされていました。
 
Literally Memodesuko Mudaidesuvic
 愛国心vs祖国愛 1  by 藤原正彦 
   http://mudaimudai.exblog.jp/3254121/
 愛国心vs祖国愛 2  国益主義
   http://mudaimudai.exblog.jp/3312997/
 愛国心vs祖国愛 3  パトリオティズム
   http://mudaimudai.exblog.jp/3319678/
 
 すごい大作です。読むのも大変な大長編です。私にはとてもこんな長いブログを書く精神も時間もない。
 それで、「ナショナリズム国益主義)」と「パトリオティズム(祖国愛)」の定義や区別にしても色々なものがあり、どういう意味で使用されているか文脈で判断しなければならないと思ったのが結論です。引用は豪華でしたが、何せ私はあまり“知的”ではないので結論は羊頭狗肉的です。今回は用語の定義にも色々あったことを発見したという驚きを表明したということで。
 
 そこで、朝日新聞の投書欄の4月25日付に、
愛国心教育は本当に必要か」
という投書が掲載されており、はたと膝を打つことが指摘されていました。
 
「しかし、考えてもらいたい。社員をリストラする会社に愛社心を持てと言っても無理な話だ。これとは逆に会社が社員を大切にすれば、社員は自然と会社に感謝と愛着を持つはずだ。」
 
 まさにその通りである。日本の国に愛国心を持てと強制するのは無茶なことである。
 良い国ならば自然に愛国心を持てるし、悪い政治ばかりしているのならば愛国心は持てるはずがない。
「国」を自分の勤務する「会社」や自分が通った「学校」と置き換えて考えてみて考えると分かりやすい。
 本当に好きで気に入っている学校や会社ならば、自然と「愛校心」「愛社心」も出てくるが、そうでない場合、強制されても持てるはずはない。
愛国心」とは結局、好き放題やりたい政治家が国民から反感を持たれないために思想を縛るために押し付けているものなのである。
 
 かつて「愛校心」も「愛社心」も持てないで、地域社会にも溶け込めないで心の空虚を持つ人々がその寂しさを紛らわすためにいきなり「国家」と結びつこうとして「愛国心」を持とうとしているのなら危険なことである。
 しかしその逆に、いい学校を出ていい会社に入って「愛校心」も「愛社心」も持った勝ち組の幸せな人が、「愛校心」や「愛社心」の延長で「愛国心」を考えるのも困ったことである。
愛国心」を考えるために「愛校心」や「愛社心」のことを考えるのも有意義なことではあるが、同じレベルで考えることもできないのである。
 
 結局、また羊頭狗肉的な結論となるが、愛国心・愛社心・愛校心を比較して考えるのもいいことだが、同じレベルで語るのも危険であり、最後には個別に考えるべき問題である、ということではないでしょうか。
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◆ゲストルーム 「怒り」をわすれた大人
  http://medalist.seesaa.net/article/17271384.html
s(・・;) 怒ることを忘れたというより、別のことにそらされているのかもしれません。
 911選挙では公務員や郵便局員や“郵政民営化反対派”に怒りの矛先を向けさせられました。ネット上では、特定アジアなど、怒りを外に向けさせられています。
 本当に批判すべきことは何なのか、冷静に考える必要があります。
  
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はてなキーワード 愛国心教育

自分の国を大切にしたり愛する心を子供たちに教えること。
日本ではもっぱら「現支配階層の支配やシンボルを支持・崇敬すること」を「愛国心」として、これを刷り込む教育である。
したがって、反体制的な言説や運動は、それが強烈な愛国的な動機で行われたとしても排除される。
現在、政府与党側から求められている「愛国」には直接含まれていないものの、「愛国心」のない者は「国賊」「売国奴」「非国民」などと意識されることを意図していないか、さらに内心の自由の侵害、思想信条の自由の侵害が懸念される。
また、個人主義による公共秩序の乱れや、政治・社会・行政への無関心も愛国心の欠如によるものであるとされ、こうした「公共圏」「公共意識」の再確立と治安維持のためにも愛国心が必要であるとされている。
それはもちろん中国や韓国の教育においても同じことであるか、あるいは日本よりも状況は深刻である。

s(・・;) なかなかいい記述です。書き換えられる前に保存しておきます。
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