1年分の新聞切り抜きから 平和を守る「勇気」とは

 今日、たまっていた新聞切り抜きを整理した。
 いつかはブログで取り上げようと思って置いておいたら、いつの間にか膨大な量になっていたのである。
 日付けを見ると、昨年の4月や5月の分から延々と残っていた。ブログで書こうと思って1年以上も放置していたのである。
 今までも無理して書いてきたのだが、いよいよ明日からはこのブログにかける時間が極端に少なくなるということで、残念ながら多くの記事を処分することにした。
 日本の独裁体制化を防ぎ、民主体制を守ろうと思って必死でブログを書いてきたが、結局思い知らされたのは、私一人が何を書こうが大勢には関係ないという無力感だった。
 
 さて、1年以上にわたってため続けてきた新聞切り抜きの中から、印象に残って簡単に転記できる言葉をここに紹介しておく。

ワルの知恵本

ワルの知恵本

 ↑この本に対する香山リカのコメント
「マジメな自分がバカを見る本当の原因はワルになれない自分にあるのではなく、社会の側にあるのでは?と視線を外に向けさせるすすめがまったくないこと。自分が“ちょいワル”になる前に社会の“マジワル”を何とかする、というのはいまどき流行らないのだろうが、たまには会社じゃなくて社会に怒りを向けてみては?」
朝日新聞2005年4月17日 ベストセラー快読
 
石坂「朝日のコラムを他紙と読み比べますが、もっと毒があってもいいと思います。今、時代が不偏不党とか中立性とか意味をなさないくらいに、ものすごい偏りを持っているように感じられて、すごく怖い。時代が平和なら、庭の梅の話を書いても楽しめますが、時代背景がこういうときは、朝日新聞はもうちょっと、とんがってもいいんじゃないかと。」
天野「毒の盛り方もいろいろで、やたら正面からきりつけるだけじゃなくて、すれ違いざまに足払いをかけたり、後に回ってくすぐったり……。そのときに、今の新聞は少し文字に偏りすぎているので、もっとビジュアルな工夫があってもいいんじゃないか。」
朝日新聞2005年11月1日 読者交流月間シンポジウムでの石坂啓天野祐吉の発言)
  
朝日新聞2005年8月20日
93歳・私の証 あるがまま行く 日野原重明
平和を守る「勇気」とは

 この連載コラムで日野原重明は、よど号事件での体験を明かす。
 犯人の一人が乗客に、読み物があることを告げ、読みたい人を募った。
 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が告げられた時、日野原は縛られた手を挙げ、「これがあれば何日拘束されてもやることがある」と読み始めるのである。
 日野原が度胸や勇気を失わずにすんだのは、氏が尊敬するウィリアム・オスラー医師の「平静の心」という講演集の言葉の数々があったからだと述べている。
 このようにこのコラムでは「勇気」について幾つかの体験を述べた後、最後にこうしめくくっている。
戦後60年の節目を迎えた現代人に必要なのは、今は戦う勇気よりも平和を守る勇気だと思っております。」 
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